008.料理の道しかない!~サムライ・シェフ、星を獲りに行く~ 2/4
両親の想い
― そのぶれない大平さんにご両親も心を動かされたんですね。
お邪魔した日におすそ分けしていただいた野菜、ご両親が作ってらっしゃるんだそうで。
サラダにしていただきました。みずみずしくて本当においしかったし、
子を思う親の手作りというところにも感激しました。
両親は花農園を経営していたんですが、「いつか店をオープンする日のために」と 密かに野菜を作り始めていてくれたんです。 僕が料理人になりたいと決意したことを知って決めたようで、 気づいたら、もう始めていました。使う野菜は両親から送られてきているものばかりです。
生きる知恵がついたベルギー時代
― ベルギーでの修行時代のお話を聞かせてください。まず、きっかけは?
大学で社会福祉を勉強していたんですが、やっぱりやりたいことをやろう!と 決めたんです。当時は親のすねをかじっていたんですけど、 一念発起してバイトを始めて頑張ってお金を貯めました。 それでベルギーに武者修行に行ったんです。
生きる知恵がついたベルギー時代
― なぜ、フランスではなくてベルギーへ?
星つきのレストランがフランスに比べて多かったからです。 シェフになるからには自分の店を持ちたいですし、星も獲りたい。 しっかり修行するためにはやっぱり星つきの店が多いところだ、と考えて、 チャンスの多い方を選びました。
― ベルギー暮らしで困ったことは?
まず、言葉ですね。フランス語に大苦戦しました。最初は全然通じなくて、
生活すべてに困りました。いきなりつまづいちゃったんです。
おまけに学校選びも間違っちゃいまして、ヨーロッパの優秀な人ばかりが集まる
ホテル学校を選んじゃったんです。
法律、数学、ワイン醸造学と・・・もちろん、全部フランス語で。
― よりによって、超アカデミックなところに・・・
そうです。アカデミック過ぎて死にそうでした。
― それで大変なことに?
いきなりなっちゃいました。軽いノイローゼ状態です。
今振り返れば、ああすればよかった、こうすればよかったというのはわかりますけど、
当時は若くて経験が足りないから、とにかくどうやって生きたらいいかわからなくて。
それで、だいぶ周りの人に助けてもらいました。
当時のあの生活のおかげで生きる知恵が随分ついたんじゃないですかね。
人に助けられると不思議と力が湧いてくるんですよ。
「よし、やろう!」って。
あんなに勉強したことないってくらい、死ぬほど勉強しました。
そうしたら、言葉も少しずつできるようになってきて・・・
なんとかなるもんですよ、ホント。
それに僕、人には本当に恵まれていたと思います。
― 助けてくれた人からもらった忘れられない言葉は?
最初に勤めた店にエリックっていう同僚がいたんですが、 「鉄の意志を持っていれば、なんでも乗り越えられるぞ」って言ってくれて、 エリックには本当にお世話になって、僕自身が変わりました。
"本当の僕"が引き出された
― どんな風に変わった?
ネクラだったのがコロッと180度。それまではそんなに熱い男じゃなかったんです。
― もともと熱かったんだけど、引き出されたとか?
そうですね。今思うと、僕、もともと熱い男だったんだと思います。
フランス語がまだまだちゃんとできない頃はそうそう仕事を振ってはもらえないんですが、
それこそ、"鉄の意志"で皿洗いに仕込みと、朝早くから晩まで鬼のように下働きをして、
休憩中も休まないで料理用語を必死に勉強して、家に帰っても寝ないで勉強していたら、
まず、周りの人がそのことを評価してくれたんです。
「史人は絶対に伸びるから」と。