007.職業:莉理せいら 5/6
― 周囲の反応は?
「もったいない」と猛反対されました。
でも、ファンや親しい上級生や同期は、私が中途半端な気持ちで舞台に立つことができない
性格なのは知っていたので理解してくれました。
私も骨を埋めるくらいの覚悟で入ったし、できることならずっと居たかったけど、
気持ちがそれを許さなかったんですね。「やり切った」という想いでいっぱいでした。
莉理せいら(完)
― 退団のその日、何を考えた?
「無」です。
― 新たにやりたいことなし?
何もなし。
莉理せいら(完)
みなさんに感謝の気持ちだけでしたね。
―気持ちは揺れなかった?
一度退団したら、再入団は許されませんから、 正直、やめて戻りたくなったらどうしようとは思いましたけど、 まず、この世界を出てみないとわからないから、 やめることを止めようとは思いませんでした。
―退団した翌朝、考えたことは?
お稽古に行かなくちゃ(笑)
あ、行かなくていいんだ、という感じ。
1ヶ月くらいは続きましたね。
時間に追われる生活からはなかなか抜けきれませんでした。
― "タカラジェンヌという人生"は本当に重かったんですね。
そうですね。重すぎるくらいに。宝塚は私のすべてでした。 音楽学校を入れると9年間、あれがなければ今の私は存在しません。
今日、何をしよう・・・カメ生活3ヶ月
― 東京に戻ってきてからまず何をした?
何も。ずっと一日中ボーッと・・・リラックスの仕方もわからなくて。
気分転換にウィンドウショッピングに行っておいでと言われて出かけても
何を買っていいのかもわからない。
洋服ひとつにしてもそれまでは、「これを着れば男っぽく見えるな~」とか
そんなことばかり考えて買う習慣がついていて、いざ、自分で着たいものを
買おうにも買えなかったんです。欲しいものもなかったですしね。
― ボーッとする生活は驚きだった?
宝塚時代はボーッとできる時間があれば、それは研究の時間に充てるとか、 必ず何かやっていたので、のんびりするためとかリラックスするためという、 時間の使い方はある意味、カルチャーショックでした。
― バレエを教えることになるきっかけは?
「のんびり」がわかってきて、それを3ヶ月くらい続けたところで、
さすがに体がキシキシ言い出して動きたくなりました。
そこで、ジムに通い始めて、今さらバイトというのもなんだし、
海外でも行こうかと考えているところに、先に退団していた同期から
「バレエの先生の代行をやらないか」と連絡があったんです。
最初は断りました。
「私、3ヶ月もカメだったし、先生なんてとんでもない」と(笑)
そこで、期間限定という約束で引き受けたんです。
大人と子どものクラスを受け持ちました。
― 実際に教えてみたら・・・
楽しくてやりがいがありました。これはもっとやれるなと手ごたえを感じました。
特に大人はまったくの初心者ばかりなので、
体を動かすことの楽しさを、どう表現したらいいのか考えながら伝えていけることが
楽しかったです。もっとわかってもらえるかもと思いました。
それまでは教えてもらう立場しか経験していませんでしたから。。
― これは仕事にしていけると実感した?
もっとやってみたいと思いました。
もう一度、クラシックバレエの先生に師事してブラッシュアップして、
自分のスタジオをオープンしました。8年前のことです。