002.自分を表現できる人間であれ! 2/3
― 学校教育の世界は会社組織とは大きく異なり、戸惑ったり、驚かれたことも 多かったのではないでしょうか。エピソードを交えて教えてください。
私が思うに、会社組織がピラミッドだとすると、学校は鍋蓋組織です。
蓋の取っ手が校長・教頭であとはフラットです。
教員ひとりひとりは平等だという考え方が非常に強くて、
それはある意味では好ましいことですが、学校組織の機動力や効率という面では、多くの課題がありました。
それまで私が身を置いてきた企業の世界と比べると、 コミュニケーションが不足しているという印象も受けました。 教員同士が情報を共有する、失敗や困った経験をシェアするというよりは、 ひとりで抱え込んでしまう傾向にありました。
例えば、保護者からのクレームが手に負えなくなって初めて、
校長である私のところに問題があがってくることもありました。
今の自分のおかれた状況を素直に相談する。SOSを出す。
そこでも自分を表現する力が問われます。
難しい試験に合格することはできても、そこはゴールではありません。
現場で実際に求められるのは、事態を分析して突破する力です。
その力も、自分を表現する手段のひとつだと私は考えます。
誰でもその力はあるもの。ただ、眠っているだけです。
何事にも言えることですが、トラブルの対処は初期動作が大切です。
相手のあることですから、電話対応で済ませることはせず、
会社の部下には「足を使いなさい」と必ず直接訪問して話を聞き、
状況を把握して、事に当たるよう説いてきましたから、教員にも同じく諭しました。
詫びるべき場面ではまず詫びる。それが解決のための第一歩です。
サラリーマンの世界での「当たり前」を言って聞かせました。
さらに、やって見せるうちに
「まったく違うところからやってきた遠い存在」は「助けてくれる」「やってくれる」
「頼りになる」存在として浸透したようです。2年がかりでした。
児童-共に働く教員-保護者
つながるためには表現力が求められます。
この3つのつながりがはっきりと見えれば、今度は地域も味方になってくれます。
そして、教育委員会などの行政も動いてくれるようになります。
保護者、地域そして行政が協力してくれれば、
教師も身を入れて仕事ができるようになります。どれひとつを欠いてもなし得ませんね。
― 遠藤流カイゼンに現場も驚きの連続だったことでしょう。
遠藤さんご自身は、児童に対してどのような「つながり」を表現されたのでしょうか?
また、児童や保護者の反応はどのようなものでしたか?
任期中の4年間ずっと、朝校門に立って子どもたちを迎え、昼間は校長室を開放する。
これは私が最初に打ち出した児童との「つながり」です。
休み時間に児童が自由に遊びに来られるようにしました。
来客や予定がない限り、校長室は児童のための空間としました。
これも「子どもから学ぼう」という試みであり、私なりの表現です。
毎日休み時間になると、子どもたちがたくさんやって来て、
紙飛行機を飛ばす子もいれば、友達同士でけんかをする子もいる。
隣接する職員室からクレームがくるくらい(笑)の賑やかさでした。
ライオンウサギを連れて着任したのですが、
校長室には児童が休み時間に描いてくれたライオンウサギの絵をたくさん貼りました。
保護者の皆さんも自分の子どもの作品を見に、校長室にやってきました。
絵はひとりひとりの表現の手段です。
わが子の作品に目を細めない親はいません。
難しい要求をしがちだった保護者も、校長室の雰囲気や学校の様子がわかり、
随分と協力をしてくれるようになりました。
授業を受けたがらないような児童も校長室に来ることは楽しみにしていました。 今でも交流がありますが、あの時、開かれた校長室にしたからこそ、 難しい状況にある子どもたちとのつながりも見出せたのだと思います。
さらに、英語の授業を試験的に導入して、私が教壇に立って1学期間モデル授業をしました。
これも子どもの表現力を高める一つのムーブメントです。
来年から日本全国の公立小学校5~6年生全員が、学校で英語を学ぶことになります。
南が丘小学校では全国と比べて数年早く、しかも全学年を対象とした英語科の授業が開始され、英語教育の礎を築くことができました。これは、現在まで受け継がれています。