010.共に汗を流し、まっすぐ、体当たりする経営者 3/6
秘密ノートで「コノヤロー!」
― タテ社会の掟に困ったのでは?恐い先輩にはどう立ち向かった?
究極のタテ社会ですから厳しかったですね。中にはイジワルな人もいますし、 理不尽なことを言ったり、やったりする先輩もいて、萎えそうになることもありました。それで『秘密ノート』をつくりまして、そこに「コノヤロー!」と思った人の 名前を書いて、ノートの中で感情を書いて爆発させて、憂さ晴らししていました(笑)
つい言いたくなるんですが、新弟子にグチを言うのはみっともないし、情けない。 それなら、いっそ、書くことで感情を整理して、ノートの中でやっつけてしまおうと。 自分なりに考えた作戦です。
「絶対に強くなってやるぞ」と誓いながら書いていました。 実際、その通りになりまして、2年も稽古すると、5年、6年上の先輩と互角に 取り組みができるようになっていました。体ってびっくりするくらい変わるんですよ。 努力することで人の体って本当に変わるんです。
17歳になったら、秘密ノートに名前を書いた5歳上の先輩と闘えるように
なっていました。ある時、立てなくなるまでとことんぶつかり合おうとなりまして、私が勝ちました。
闘う意味や勝つ感覚というのはそういう中でやらないと体に叩きこまれないし、
力はつきません。
相手を倒したい。強くなりたいと思うから鍛える。体が変わって強くなる。
"こころと体が同時に強くなる"を身をもって体験しました。
これは、今の子どもたちにもぜひ、伝えていきたいことです。
筋トレ力士
体が変わって、強くなってきていることが実感できても、
下っ端ならではの雑用が減るわけではありません。
ある時、「このままじゃ、先輩を追い越せないな」と気付きまして、
もっと自分時間を増やして、部屋の外でもトレーニングをするように
なりました。
兄弟子の世話や用事は時間のロスのないようにこなす。すると、自ずと自分のための
時間ができるんです。その時間を体を変えるためのセルフ稽古の時間に充てて、
ひとりで公園に行って、ダンベルを持ってすり足したりしました。
自己流のタイムマネジメントを始めました。
最初はお金もなかったんですが、序二段で優勝してからは
親方に許可をもらって、空いている部屋をトレーニングルームにして、
ベンチプレスを置いて、筋トレを始めました。
今思えば、ちょっと生意気だったかもしれません。
― いわゆる『あんこ型』じゃなかったのはそのトレーニングの賜だったんですね?
「いかにも」という体型にはなりたくなかったんです。
理想の体は関脇から大関に上がる頃の北天佑関(※)です。
あの威風堂々とした、あの仁王像みたいな体になりたいなと思っていました。
※北天佑関:元大関、年寄り・二十山。均整のとれた体と抜群のパワーを活かした豪快な
取り口で相撲ファンを魅了、女性ファンも多かった。1990年引退。2006年45歳の若さで死去。
― 今で言うイケメンですよね。
そうですね。端正な顔立ちで。
自分の中では「俺はもっともっと強くなれる」という確信がありました。 朝起きたら体が変わっているのがわかりましたから。 それが成績にも現れていましたから、「俺は強いぞ」と自信満々でした(笑) 周りもちやほやしますしNHKで有望力士に取り上げらたりして、すっかりその気ですよ。
― モテた?
それはまあ・・・
遊びは遊びで楽しいですが、この体がどこまで強くなるかということを考えることが
最優先でした。やっぱり、同世代が学校に行って、家でゲームして、友達と遊んでと
ぬくぬくしている時に相撲部屋で先輩の雑用もこなしながら猛稽古にも耐えている
わけですから、『強くなる』ことに集中していました。