010.共に汗を流し、まっすぐ、体当たりする経営者 2/6
"すかさない"14歳の天国と地獄
― 言うなれば『奉公生活』の始まり。逃げ出しちゃおうと思わなかった?
そういうのを隠語で「すかす」って言うんですけど、すかしは思いとどまりました。
一番弱くて下っ端。慣れない生活の中で叱られてばかり。最初はショックの連続です。
でも、私は「絶対に強くなる、横綱になる」と14歳なりに覚悟を決めましたし、
親・兄弟、地元のみんなに応援されて送り出されてきたわけですから、
折れそうになる度に「どの面下げて帰るんだ」と自分を鼓舞しました。
それから、寂しいより弟子としての細々とした仕事や用事も本当に多くて必死で
それどころじゃない!というのもあります。悔しい思いもいっぱいして、
こんなことするために入ったんじゃない、と思っていた時期もありました。
― どんなタイム・スケジュールだったんですか?
私の場合、新弟子の時代はまず起床5時。
土俵をならして自分の準備運動、まだ体ができてない時分はそれから稽古を
少しさせていただいて、汗をかいたままというわけにはいかないので風呂場で
水をかぶるんです。当時はシャワーどころか、給湯システムもない。
蛇口ひねってお湯が出る時代ではないので、沸かすばかりになっている湯船にはった水をかぶりました。
下っ端のためにお湯をわかすことは許されませんから、
夏場はともかく、冬場はきつかったです。
米をといで、炊いて、ちゃんこの準備をして、先輩が食べるのを待ってから 朝ごはん食べて、先輩の部屋を掃除してから学校に行っていました。
そんな生活ですから、あんなに嫌いだった学校はすぐに好きな場所になりました。
やっぱり楽だったからですね。素の自分に戻れるというか・・・
学校ではのびのびと遊んで羽を伸ばしていました。力士になる前、地獄だと思っていた
学校は天国に思えました。
その天国タイムが終わると夕方からまた地獄タイムが待っていまして、
4時の掃除に間に合うように学校から帰ってくる。掃除が終わると今度はちゃんこ係の
手伝い。これが毎日です。
先輩がちゃんこを食べ終わるのを待って、僕らが食べて、
次は先輩の部屋にふとんを敷くんですが、これが時間がかかるんです。
80畳に大広間に新弟子2人で1時間がかり。 それが終わると唯一の外出時間=銭湯タイムです。15分もらいまして、 それは嬉しかったですね。
銭湯から帰ったら、先輩のマッサージに洗濯、自分の洗濯もして・・・
寝る時間なんてすぐで、その頃はくたくた。寂しいと感じる暇もありませんでした。
ただ、この生活にも例外があって、地方巡業の間だけは実家に帰らされました。
中学生ですから、部屋の留守番も無理なので、強制的に帰されるんです。
中2の冬、みんなが九州場所に行っていた間でした。
実家から学校に通ったんですが。嬉しくて、嬉しくて山手線の中で涙が
出そうになりました。
8月に初めて親元を離れてから3ヶ月ぶりに帰って電車から外を見た時の気持ち、
それから、初めて土俵を踏んだ日のドキドキは今でも昨日のことのように思い出しますね。
中学を卒業して『玉桜』の四股名で大阪場所で初土俵。 とんと拍子に出世して17歳で幕下へ。 強くなりつつある中でもタテ社会の掟には度々泣かされたという。