009."好き"を仕事にするということ 1/4

※2009年11月9日恵比寿にて
Profile
佐々木ルイス(ささき・るいす)
プロ・ダンサー/ダンス・インストラクター/ステージ・プロデューサー
1971年ドミニカ共和国生まれ
父は日本人、母はドミニカ人
幼い頃からダンスに親しみ、15歳で地元の舞踊団に所属、修練を積む。
1990年初来日
その後、単身NYに渡り、ブロードウェーでジャズ・モダン・ラテン全般・ヒップホップ・
バレエを学び、スペイン・マドリードでフラメンコを学ぶ
再来日後、都内のフィットネスクラブでインストラクターとして活動を開始するとともに、
NHKスペイン語講座、CX系『笑っていいとも!』、サトウ製薬『ユンケル黄帝液』の
CMなどに出演。サザンオールスターズのコンサートツアーでバックダンサーを
務めるなどマルチに活躍 "ラテンのカリスマ""メレンゲの貴公子"として人気を博す
現在、コナミ、ティップネスほか、プライベート・クラスを含めて
週20本のラテン・レッスンを担当、生徒は500人超
2009年12月、新宿にラテン・スポットバー『FIESTA』をオープン
イベント・レッスン情報、プロモーションビデオ、写真満載
佐々木ルイスHP:
http://web.mac.com/luisasaki/Sitio_web/Personal.html
LATIN SPOT BAR FIESTA:
http://ameblo.jp/fiesta-latinspotbar/
"父の国"に来て、世界が広がった
― 日本に来たきっかけは?
やっぱり、お父さんが日本の人だから、お父さんの国を見たかったからかな。 それがなければ、たぶん来なかったと思う。
― "父の国"の印象は?
なんか、懐かしいっていうか、やっぱり、知らない国じゃないなと思った。 お父さんから聞いていた通りって感じで。
― 最初の頃はダンスを教えていなかった?
あの頃はダンスもまだ遊びのレベルだったから、教えてなかったし、
今みたいに教えることになるとは思ってもみなかった。
もちろん、踊ることは好きだったけど。
アルバイトしながら、日本語の学校に通って勉強して・・・
若かったから遊びに一生懸命だった(笑)
― 当時はどんなアルバイトを?

ウエイターとか、工場の夜勤とか。フツーのバイト。 ドミニカでホテル・ビジネスの専門学校に通っていたから、 ホスピタリティーとかは大丈夫なんだ。全部勉強したから。
― やっぱり、言葉で苦労した?
最初の頃は「なに?なに?」って、よく何度も聞き返した。 日本語は一生懸命勉強した。本を読んだり、テレビのドラマを観たりして。 ドラマは夜帰るとちょうどやってるのをよく観た。
― 夜9時くらいにやってるトレンディー・ドラマ?
そうそう。そんな感じの。仕事から帰ってテレビをつけるとやってるヤツ。 ドラマの中で会話があるじゃない?それを紙に書いて一生懸命覚えて、 翌日、アルバイト先で同じ風に聞こえるか聞いてもらって。そうやって試してるうちに だんだん耳が慣れてきた。
その後はカラオケ!歌をぜ~んぶ覚えた。単語の意味を調べたりして。
だから、書けなくても読めるようになった。
― 得意だったのは?
90年代の流行は結構唄えるよ。T-BOLAN、WANDSとか、ヒロミ・ゴーとか、
シャ乱Q、スピッツとか、ほとんど。
メロディーがあって、きれいな歌詞があれば、すぐ覚えられる。
― その間、ダンスはどうしていた?
フィットネスクラブでジャズダンス習ってた。
日本人の素晴らしい先生がいて、その頃、その先生から
「ルイスはダンスを教えるといいよ」って言われたんだけど、その頃はあんまり真剣に考えなくて、
楽しいことと遊ぶのに夢中だった。
どんなに上手に踊れても教えることは別と思ってたし、自信もなかったしね。
日本に親戚もいたけど、結局、誰にも頼らないでひとりでやっていたから、
ダンスを仕事にするとか、そういうアドバイスをくれる人もいなくて
ちゃんと考えられなかった。やっぱり、若い時は遊ぶ方に気持ちが行っちゃうんだよね。