007.職業:莉理せいら 1/6
今回のドリキャリ・インタビュー、「007.職業:莉理せいら」は2部構成でお届けいたします。 全6ページを2回に分けて配信させていただきます。どうぞお楽しみに!
※2009年10月5日セーラーズスタジオ自由が丘にて
Profile
莉理せいら(りり・せいら)
元宝塚歌劇団星組男役/セーラーズスタジオ自由が丘主宰
>>セーラースタジオHP http://seilas-studio.sakura.ne.jp/
神奈川県横浜市出身
4歳からクラシックバレエ、モダンダンス、ジャズダンスに親しむ
高校を中退して、宝塚音楽学校に入学
1993年初舞台 その後星組配属となり『ウエストサイド物語』などで7年間活躍の後、
1999年宝塚歌劇団を退団
2001年セーラーズスタジオ自由が丘(クラシックバレエ教室)設立
父はFILE004で登場した仏ダマール社日本法人元社長・高屋敷哲雄氏
現在、雪組トップで活躍中の水夏希さんは同期
母がもたらした夢のきっかけと宝塚との出会い
― まずは宝塚の前段、ダンスやバレエに親しむきっかけから教えてください
母が趣味でモダンダンスを習っていまして、よくレッスンについて行きました。 レッスンを見るうちに「わたしも踊りたい」と思ったのがきっかけでしょうか。
― 宝塚との出会いは?
父の仕事の都合で関西に住んでいた頃にやはり、母が宝塚に観劇に行っていまして、
連れて行ってもらって観ていた、というか、観させられていたという感じでした。
といっても小さいですから、最初のうちは幕間に食べさせてもらうソフトクリームが
楽しみでした。
― それがいつの間にか・・・
はい。何度か観に行くうちに、私の好きな歌や踊りがあって楽しさに引き込まれた というか、あちらの世界に入り込んでいたという感じです。
私は舞台に立つ!
― 「私は観る側じゃないわ」と思った?
はい、気づいたら。
単なるあこがれではなく、自分は舞台に立つものだと"思い込んで"いました。
小学校低学年の頃には「タカラジェンヌになること」が確実に頭の中に
ありました。母はまさか私がそこまで考えているとも知らずに
劇場に連れて行ってくれました。
後になって、私が宝塚を目指していることを知って「え~行きたいの?」って
少しがっかりした様子でした。ずっと一ファンでいたかったんですね。
私は私であんなに厳しい試験があることも知らずに宝塚に行くことだけを考えていました。(笑)のんびりしていまして、中学生くらいになって試験のことを知って 「そうだったんだ、あらどうしよう」と。
高校生活と宝塚の間で
中学3年生の進路指導の時、担任の先生に「宝塚に行きたい」と初めて打ち明けました。
びっくりするだろうな、と思ったんですが、「それは素敵ね!」って言ってくれました。嬉しかったですね。
私の強い意志を知った先生は「今すぐ宝塚を目指したいのは分かるし、素敵なことね。だけど、あなたの人生の中で高校生活はとても大切な意味を持つはず。
それだけしっかりとした目標があるなら、少しの間でも高校に行ってみたら?
それから目指してみてもいいんじゃない? 楽しいよ」ってアドバイスしてくれたんです。
すでに"心は宝塚"ですから、私にはあんまりその気がなかったんですが、
結局、家族で相談して、進学することにしました。
先生は入団してから舞台を何度も観に来てくださり、応援してくださいました。
今でも交流のある有難い恩師です。
― "心は宝塚"で高校生活はかなりの違和感があったのでは?
すごくありました。学校でも、「私、ここに居るはずじゃないのに」とか 「なんで私、ここに居るんだろう」とか、もうしょっちゅう思っていましたね。
― 勉強にも身が入らなかった?
もともと机に向かって勉強というのは苦手で・・・
なのに、高校に入った時、父からは「ちゃんと勉強してトップの成績でいないと、
習い事はさせないし、宝塚も受験させない!」と言い渡されてしまったんです。
「なんで~!」と思いましたが、私を試していたんでしょう。
成績が芳しくないと"宝塚という夢"はあきらめざるを得なくなるから必死でした。
あんなに勉強嫌いだった娘が、必死でカリカリやっている姿を見て
父も"本気"を感じたんだと思います。
・・・せいらさんは高1の春休みに初めて宝塚音楽学校受験する。 結果は不合格。しかし、この不合格で味わった悔しさがさらに宝塚への想いを 強く、確かなものにしたという。せいらさんは当時をこう振り返る。・・・