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平山小学校文集「○○になったぼく/わたし」第2回

子どもの発想力、想像力は無限!

ドリームツリー作文集
平山小学校文集「○○になったぼく/わたし」第2回(全3回)をお届けします。
どうぞ、子どもたちの発想力・想像力を感じてください。
※以下、原文ままでお届けします。(個人が特定される名称などを除く)

ドクターになった私

今、手じゅつ室にいる。それは、もうすぐ心ぞうの悪いおばあさんが来るからだ。ドキドキする。

ガラガラガラガラ・・・・・

おばあさんが手じゅつ室に入ってきた。右手にはメスを持っている。 手じゅつ台の上におばあさんがねた。 台の上には、心ぞうをゆっくりうごかすきかいがのっている。 メスを力強くにぎっている。 あせ水がたれた。

スパッ!

きかいを心ぞうにとりつけた。とくしゅなはりでぬう。 この手じゅつで、あのきかいが少しでも、ずれていれば、 手じゅつはしっぱいする。 そしたらおばあさんの命があぶない。 はりでぬい終わると、おばあさんの顔がらくになってきた。

よかった!手じゅつはせいこうしたのだ。 でも、こんなところで安心していすにすわってはいられない。 次のかんじゃさんをみないといけないからだ。 だから、手じゅつのかたづけはかんごふさんがすましてくれる。 さぁ、はやくいかなれば。 でも、これが、小さいころからのゆがかなった私だ。 大学の時も、入れるかどうかこわかった。 でも、今はそのあこがれている仕事につけている。 母にも、父にもみんなに今までのおんがえしをしなければならない。

お医者さんイラスト

私の次のゆめは、世界が平和であらそいのないえがおの地上を作ることをめざしたい。 今の世の中はお金がたくさんある国、ぜんぜんない国があるというのにそうり大臣は、 オバマさんのように頭のいい人がなればいいと思う。 それにはんざいがない世界を、作る人がいてほしい。 世界をへいわにしてほしいです。 私はそういう人たちといっしょに人の命をすくえるドクターとして、 これからも世界の人たをすくっていきたい。

プロ野球選手になった自分

ドリームツリー作文集

ぼくは、今、巨人の3番の第一打席に、立っている。
会場は、満席だ!!。
ホームランを、打とうと思う。
三振は、したくなかった。
小学生のころは、三振ばかりしていた。
どうやって、巨人のメンバーになれたかは、小学生の時からずっと 「巨人のメンバーになる。」 と両親に、ずっと言い続けたからだ。
努力するのは、かなりつかれた。
努力のメニューは、家の周りを何周もして、ピッチング練習もして 守び練習に力を入れた。 有名な選手の研究もしてバッティング練習までした。そして 今のプロ野球選手になれた。

さて結果は、三振だった。落ちこみマーク
次の試合は、出場できなかった。
次の日、クビになったが、ちがうチームに入団した。 でもまだ未来がある。
ぼくは、これからも努力を続けてプロとしてがんばっていく。

画家になった自分

画家イメージイラスト

ぼくは2才のころから絵がすきで画家になりたいと思っていた。

27年ご、とうとうゆめがかない自分はよろこんでいた。だが画家の道は、けわしかった。

ぼくはしょうもとれず、おちこみ画家をやめようと思ったら おかあさんの言葉を思いだした。

「やめるんだったらやるんじゃない。自分でこれだ!と思ったことをえらべ」 と言われた。この言葉でぼくはやる気がでてがんばった。 3年ごとうとうしょうもとれ、ゆめがかなってそのごもやめずがんばった。

ピアニストになった私

ドリームツリー作文集

私は、今ひこうきに乗って、カンボジアに行こうとしています。

昔、小学校三年生の時ドリームツリー、夢の木を考えました。 その時の夢は、ピアニストでした。 そして今その夢がかなっているからです。 私は、夢としてカンボジアに行って、キーボードでもいいから カンボジアの子どもたちに曲をきかせてあげたかったからです。

さあ、今行こうとしています。 ちゃんとキーボードも持ってきたから大じょうぶ!!

あれから私は、四年生、五年生、六年生までピアノを続け、 中学生の時音楽クラブとは、ちがうピアノクライブを作って、一人で 練習を重ねました。 高校生の時私は、せんもんの、 学校へ入学しました。

そして練習もはかどった暗ぷももしました。 高校卒業の前初めて大ホールでえんそうしました。 練習しながら大学へ入学しました。

そして大学生の時私は、ピアノを教えたり、大ホールでえんそうしたりしていました。 今、カンボジアに行こうとしています。 カンボジアについた。 子どもたちのために私は、曲を聞かせてあげました。

そして私は、子どもたちがえ顔になったのをみました。 私は、うれしかったです。 これからも私は世界の国々を回って、子どもたちに いろいろな曲をきかせてあげようと思いました。

スタイリストになったわたし

わたしは、今、スタイリストです。 いろんなアイドルや女ゆうの服をコーディネートしています。 そして、いつもコーディネートしたアイドルたちが、
「ありがとう。」
と、わたしに声をかけてくれます。 わたしは、ありがとうといわれると、とてもうれしくなってとてもやってよかったと思います。 そんなわたしでも、小さいころはずいぶんたいへんでした。 1さいか3さいくらいまでも、ほにゅうびんの口をかじっていたり、 1年生では、いっぱい、ケンカをしたりねそうになるのが多かった子どもです。 2・3年生は、じゅくや、ならいごとが多くなりたいへんでした。 4年から6年までも、ずいぶん、いろいろありました。 たいへんだったけど、スタイリストの夢は、あきらめませんでした。 その後、学校をそつぎょう。 中学では、いろいろな服のデザインを勉強しました。 高校では、じっさいに服を着て町を歩いてみました。 大学では、ほんかくてきに、服の勉強をしました。 ついに大学を出てしばらくは、服の勉強をしていました。 でもチャンスが、やってきたのです。 わたしは、前から、自分の店をもちたいと思っていました。 ある服の会社が
「店をひらいてみないか?」
とさそってくれたのです。

ライン

でも心配になりました。 私が住んでいる日野市は、東京ですが、服の店が売れるためには都会へでなくてはならなかったからです。 わたしは、考えました。 本当にはたらいていけるのか? お母さんやお父さんは、だいじょうぶなのか? と何日も何日も、考えました。 ある夜、お父さんが、ねて、お母さんがわたしをよびました。 お母さんは、ニッコリわらうと、ゆっくり言い始めました。
「だいじょうぶだよ。心配しなくていいよ。 お父さんとお母さんはだいじょうぶ。夢を持って行っておいで。」
とやさしく言ってくれました。 そしてわたしはけっしんして、都会に、出ていきました。 都会は、すごい人でした。 わたしは、ゆうびんきょくのすぐそばに、 店をひらきました。 まず一人目のお客さんが入ってきました。

ライン

五さいくらいの女の子と、その子のお母さんでした。 その子は、ゆっくり歩いて店の中の洋服を見ていきました。 そして、何かを見つけたように、子供服の方へ走っていきました。 かわいいうすいピンクのふんわりしたスカートをじーっと見ています。 わたしは、歩いて、女の子の所へ行くと、
「これ、すき?」
と聞きました。 女の子は、うなずくと、お母さんの所へ行き、何やら話しているようでした。 お母さんも、子ども服のところへ来て、 うすいピンクのスカートをとると、レジのほうへいき、
「お会計、おねがいします。」
と、わらって言ってくれました。 わたしはこのとき、心の中で、
「ああ、やっぱりスタイリストになって本当によかった。」
と心から思いました。 それから、いろんな所に、チャンスで店を作り、 お客さんはどんどんふえていきました。 そしてアイドルのファッションもたのまれていろんな事をしていきました。 そして、いまのわたしがここにいます。 わたしは今でも、夢をあきめなくてよかったと心からそう思います。
おわり

次回も、どうぞお楽しみに!

前回分はこちらからどうぞ!

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