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ドリキャリ第16回『子どものころからの好きなことは夢の種になる』貝谷嘉洋氏

貝谷嘉洋氏 016.子どものころからの好きなことは夢の種になる

Profile
貝谷嘉洋(カイヤ・ヨシヒロ)
1970年岐阜県生まれ。10歳のときに筋ジストロフィーと診断され、14歳で自力歩行不能となる(現在は日常生活の大部分の介助が必要)

93年関西学院大学卒業後アメリカに単身渡る。97年野田聖子郵政大臣(当時)の政策秘書として研修。99年カリフォルニア大学バークレー校ゴールドマン政策大学院修了。2000年にジョイスティック車によるアメリカ一周を敢行したのちに帰国し、同車で初の新規運転免許取得。01年NPO法人日本バリアフリー協会を設立。05年上智大学博士後期課程修了。
障がい者の音楽コンテスト「ゴールドコンサート」を主催しながら、執筆活動、講演などを行っている。 NHK厚生文化事業団障害福祉賞 専門委員も務める。

―自らが主宰者となりNPO法人を立ち上げ精力的に活動されている貝谷さんです。
貝谷さんに協力されるたくさんの皆さんと共に、今年度9回目となるゴールドコンサートも主催されたり、単身渡米し、ジョイスティック車でアメリカ横断をされたりした経験もお持ちです。その原動力はどこにあるのでしょうか。

貝谷嘉洋氏 016.子どものころからの好きなことは夢の種になる
子供のころは、障がいがあることで大変なことがいろいろありました。普通ならできることが思うようにならないということよりも、周りの自分自身を見る目にフィルターがかかっており、本当は少しのサポートがあればできることでも、自分のやりたいことができない。本来の自分である姿が実現できないことに閉塞感を感じていました。

そんな中、大学を卒業後、新天地でのチャンスを求めて単身渡米しました。アメリカに行き、ひとりで生活することで、様々なことが見えてきました。大きな気づきのひとつに、障がいに対する考え方の日本とアメリカでの違いがあります。アメリカでは、障がいがあってもチャレンジする機会が与えられていて、競争を勝ち抜くチャンスがある。ものごとを障がい者自身が考え、決めていくことができる。人の生命力というものを強く感じました。

抑圧されてきたことを自由にできるようになりたい、障がいに対する偏見を変えていきたい、という思いが根底にはあります。

また、子供のころから、元気でスポーツが大好きでしたし、粘り強く簡単にはあきらめない性格も大いに原動力となっているのだと思います。

―アメリカでの生活で印象的なことはどんなものがありましたか。

日本では人工呼吸器をつけて病院に入院しているような重度の障がいをもつ人が、ひとりで生活をしていました。私が滞在していたバークレーという町は、バリアフリーで有名なところでしたが、アメリカは地域で障がいをもつ人のケアーができるという工夫がとてもよくなされていました。アメリカは典型的な契約社会です。ハウスシェアーを提供するかわりに、一晩に何度か必要な寝返りの補助をすることが成立したり、24時間対応の緊急介護人派遣サービスが確立されていたり、制度をうまく組み入れることでコストは低く、無駄の少ない仕組みがありました。国ごとの社会保障に対する考え方の違いが大きいです。

―ジョイスティック車でのアメリカ横断は、貝谷さんのアメリカでのチャレンジのひとつだったと思いますが、詳しくお聞かせください。

貝谷嘉洋氏 016.子どものころからの好きなことは夢の種になる
アメリカ横断は、大学院終了後に54日間かけて実現しました。アメリカに滞在中、飛行機で色々なところに行ってはいるものの、その町、その町をじっくり見て回ったことがなかったので、今回はその目的が大きかったです。
また、日本に帰国後、NPOを立ち上げる構想をもっていました。ジョイスティック車は、社会保障に対する日本とアメリカの違いを示す象徴でもあります。社会保障や障がいに関するアメリカの考え方、概念を持ち込むためにも、私がジョイスティック車を操ることが必要でした。 アメリカでは、国や州がジョイスティック車に補助金を出します。車の教習代金も含め、その額はひとり当たり1000万円になります。障がいをもつ人が、人に頼らず自分で仕事ができる、生活ができることが介護と比較して、実際は安い金額になることを政府は知っているからです。全ての人たちに皆と同じ生活ができる権利がある。行政は経済的に収支のとれるところに資金を注入する。明快な社会保障と社会連携のシステムが整備されているのがアメリカです。

―帰国後、NOP法人設立を果たされました。貝谷さんのチャレンジできるフィールドを日本で具現化されたということでしょうか。

アメリカではNPOが発達していて、その数は100万とも200万とも言われています。優秀な人がNPOを主催しているのを目の当たりにし、その思いがより強くなりました。 これからの社会でキーワードとなるのが「当事者」です。私たちの住む社会を良くしようと思えば、ニーズのあるところ、社会的弱者と呼ばれる人たちの声を直接聞いた方がよい。当事者にしかわからないこともあり、聞いた方がコストも安くなる場合が多い。イデオロギー的な位置づけ、内向きな施策ではなく、当事者も声を挙げていくことで、社会とうまくコミュニケーションをはかることができ、効果的な施策を講じることが大切です。 お互いが目指すものを一段高くすることで、目先の利益だけではなく、お互いの理解も深まり共通点を見出すことができるはずです。闘争ではなく、融合。WIN-WINの関係ですね。

障がいをもつ方がステージに立たれるゴールドコンサートは、皆の理解が深まる場所なのですね。

音楽は、わかりやすく、親しみやすい。広がりも生まれます。多くの人たちがお互いのことを理解、共有できる場所だと思っています。今年も9月22日に東京国際フォーラムで開催します。皆さんもぜひお越しください。

自らの思いや夢を実現するため、日々チャレンジする貝谷さんより、最後に子供たちへメッセージをお願いいたします。

子供のころから好きなこと、他の人よりうまくできることは大切にしてほしいと思います。 私も小学生の時には、必ず行事係の担当になり、皆の喜ぶことや驚いたりするイベントなどを企画するのが大好きでした。これは、今も変わりません。大人になっても、小さいころから好きだったことが、実は今でも好きだったりするのです。ぜひ、皆さんも好きなことを見つけて大切に育み、将来の夢の種にしてほしいと思います。

インタビュー後記

ご自身のこと、日本のこと、子どもたちへの思い。
貝谷さんの優しい眼差しの中に、みんながお互いを大切にし、理解し合いながら生きていくためにチャレンジする志の高さを感じました。
ある物事を見るときでも、一方から見ているだけでは見えないことがあります。そこに気づき自分でそれについて尋ねたり、実際に触ってみたり、体感することで、見えなかったもう一方のことが見えるようになっていきます。貝谷さんのお話からは、両方の立場に立ち、色々な角度で物事を見て、理解することが大切であることが伝わってきました。

そして、好きなこと、興味のあることや人より良くできることを大切にしていこう、という子どもたちにいただいたメッセージは、まさに、私たちがドリームツリーの出前授業を学校の生徒の皆さんに行ううえで大切にしていることです。時間が経つことも忘れて熱中してしまうこと、これだけは人に負けたくないと思うこと、これらは、全て皆さんの夢の種となり、将来のあなた自身の土台となる宝物です。貝谷さんにいただいたメッセージを大切に、私たちもあきらめずにチャレンジしていきたいと思いました。

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